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0571 第571話 さいごの約束 「第八章 坂道を下るように」

退院後、初めての外来で慶応病院に行った。全脳照射により症状が軽減したので、しば
らくは安心かと思っていたけれど、脳外科の先生は、全体に軽く放射線をかけただけなの
で、いつまた悪さをするかわからないと言う。前頭葉に溜まっている水は開頭手術やドレ
ナージ(溜まった液を管で外に出すこと)で抜けるからいいが、延髄の近くにある腫瘍は
しばらく様子を見るしかないそうだ。ガンマナイフ治療で周囲がむくむと、延髄をいため
る危険性があるため手を出せない。「しばらく様子を見る」というのは、悪くなるのを待
つしか方法がないということなのだろうか。
私はまた本を読みあさった。防衛医大の先生が特殊な方法の三次元放射線治療で、十セ
ンチもある大きな前頭葉腫瘍を治療したという記事を読んだ。低侵襲の放射線治療。私は
これだ! と思った。早速、その医師の外来日を調べて防衛医大を訪ねた。
この先生はすごく気さくでおしゃれな、おまけに美男子のドクターだった。
「ご主人のケースも治療できると思いますよ。でも、予約がいっぱいなので、やれるとし
ても新年になってからですね。延髄のところだけはできるだけ早くやったほうがいいと思
うんですが」
とりあえず、オペの日を仮予約した。「慶応の先生と相談してから、正式な返事という
ことでいいですよ」と言ってくれたのもうれしかった。
翌日、若林先生に会って、一部始終を言葉を選びながら説明した。
「たしかにそちらでやってくれるなら、そのほうがいいかもしれませんね。でも、うちで
はできないのかなぁ? 放射線科に聞いておきますよ」
ここに至ってまだあきらめ悪く他の病院をうろうろしている私に、いやな顔ひとつせず
に対応してくれて、一緒に最善を考えてくださるのがありがたかった。
翌週、若林先生の外来に行くと、すでに答えは出ていた。
「放射線科の先生に聞いたら、こちらでもやれるそうですよ」
その週の土曜日に放射線科の先生にお目にかかった。私は「身体に負担の少ない方法で
延髄の近くの腫瘍を治療したい」と訴えた。今、いちばん命とりになりそうな場所、そこ
を治療すれば、他はまだ少し時間があると思ったのだ。
「まあ、できないこともないんだけれど、このSRS(集光照射)というのは細かいリー
フを組まなくてはならない手のかかる治療なので、どうしても一日がかりになってしまう
んですよ。それに、ご主人の場合は雪だるまみたいな形に二個くっついているので、やり
づらいんです」
と先生がおっしゃったので、「効果はどのくらいの確率であるんでしょう?」と訊いて
みた。
「それはわからないですが、わりと効くと思いますよ」
「私は少しでも長生きしてほしいのでお願いしたいと思っていますが、先生は正直なとこ
ろ、どう思われますか? 意味のない治療になってしまうんでしょうか?」
「いや、やってみたほうがいいですよ。早速、SRSをやれる日を調べてみます」
先生がスケジュール表をめくる音を聞きながら、一ヵ月も先の予定になったらどうしよ
う、と気が気ではなかった。
「十四日にやりましょう」
一週間後だった。よかった……。
(坂本敬子著 「さいごの約束」 文藝春秋刊より)
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