0536  第536話  さいごの約束 「第四章 希望がみえた!」

 

 毎年、夏に一緒に旅行する家族ぐるみの付き合いの友人たちと、今年も行こうという話
になった。私の心のどこかには、これが最後になるかもしれないという気持ちもあった。
夫の外来診療にさしさわりのない、夏休み最後の三日間、那須に行くことにする。まだ術
後の傷が完全ではないのでプールと温泉には入れなかったけれど、みんなで食べて飲んで
冗談を言い合って、いつもの年と同じ楽しい旅行だった。バターなどの乳製品が苦手な夫
が、みんなに合わせてイタリアンに挑戦した。ワインとビールを飲みながら、美味しい食
べ物が食道を通り、普通に食べられることが、こんなに幸せなことだとは思わなかった。

 夏休みも終わり、九月十二日、外来でCTを撮った。凍結手術の経過を確認するのだ。
 先生はうまくいったとおっしゃったけれど、その後、確実にがんは死んだのだろうか?
また新たながんが見つかるのではないだろうか? CTの結果を聞くのが恐ろしい。外来
での待ち時間がいつもの三倍も長いような気がする。

「坂本さん、2番へどうぞ」
 若林先生のよく通る声がひびいた。
 診療室には読影機の前にCTが貼られていた。見るのが怖かった。
 先生は数枚の写真をかわるがわる見ながら言った。
「CRですね」
「えっ!?」
「先日の内視鏡検査でもがんは見つからなかったし、肝臓のがんは確実に治療できていま
す」
 やっとCTに視線を移すことができた。夫が、
「先生、じゃあ身体から見えるがんがなくなったということですか?」
 言いづらそうに、照れ笑いしながら言った。
「そのとおりです。坂本さん、よかったですね」
「CR」とは、「コンプリート・レスポンス(完全寛解)のことで、すべてのがん患者が
待ち望んでいる言葉である。
 しかし、リンパや血液の流れに沿ってがんが全身に回っている可能性があるので、化学
療法をしたほうがいいというのが若林先生の意見だった。
「やはり、イリノテカンですよね。このまま慶応でできますか? 癌研に戻ったほうがい
いですか?」
 と聞くと、癌研でやったほうがいいのではないかという。
 慶応でのデータをもらい、癌研の陳先生の外来を訪ねた。陳先生はいやな顔ひとつせず、
「よかったですね。もちろんイリノテカンでいいですよ」
 と言ってくださった。

 (坂本敬子著 「さいごの約束」 文藝春秋刊より)