![]()
0532 第532話 さいごの約束 「第四章 希望がみえた!」

新婚旅行で知り合い、なぜかウマがあって、毎年一緒に家族旅行に行っている親しい友
人から電話あった。
「このまえテレビで見た、針を刺してがんを凍らせる治療をやっている病院を思い出した
よ。たしか慶応病院だったと思う。問い合わせてみるといいよ」
その新しい治療法がテレビに取り上げられていたという話を、少し前に教えてくれてい
たのだが、病院名がわからなかったのだ。早速、慶応病院に電話をかけてみた。凍結治療
という方法だそうで、担当は若林剛先生だと教えてくれた。木曜日が外来日だという。
今日は水曜日。セカンドオピニオンめぐりをした結果、次の治療は陳先生のもとでイリ
ノテカンを試すことになり、ベッドの空き待ちをしているというのに、さらに明日、慶応
病院に行く意味があるのだろうか? 私は迷った。イリノテカンが食道がんに効いたとい
う症例は少ないし、凍結治療もまだ実験段階の治療法である。どっちもどっちで、どうす
ればいいのかわからない。セカンドオピニオンを求めて三人の先生を訪ねたことで、疲れ
てしまってもいた。行ったこともない慶応病院にすぐに行くのはおっくうだった。
翌朝、起きると大雨だった。やはり東京に行くのはやめよう。たまには家でゆっくりワ
イドショーでも見ながら、ソファに寝転がっているのも悪くない。夫は会合で出かけてい
た。
そう思いながらも、ひとりで家の中にいると、だんだん不安になってきた。あとで後悔
することになるかもしれない。今日を逃したら、若林先生の外来は一週間後になってしま
う。
しかし、もう午前九時。すぐに電車に飛び乗っても、ここからでは十一時の受付時間に
は間に合わない。とっさに東京に住んでいる姉に電話した。
「お願い、すぐに慶応病院に行って。あとから保険証を持っていくから、受付だけしてく
ださいって言って」
まくしたてる妹のわがままに「またか」と思いながらも、姉は慶応病院に走ってくれた。
私が到着したのは十一時四十五分だった。しかし、姉が食道がんの患者だと言ったために
他の先生の外来で手続きがされていた。肝臓の凍結治療をやっている若林先生に変更して
ほしいと交渉したら、今日は学会があるので無理だという。
なんのために大雨の中、必死に東京まで来たのだろう。呆然として手続きを取り消した。
姉に頼むとき、ひとこと足りなかった私が悪いのだ。
しかし、あきらめの悪い私は、翌週、ついに決まった癌研への入院日が若林先生の外来
の日と同じだと知ると、癌研での入院手続きのあと、慶応病院に行くことにした。「本当
に行く必要があるのか」と夫は言ったけれど、二度と後悔はしたくない。若林先生に診て
もらう最後のチャンスかもしれないと思ったのだ。
(坂本敬子著 「さいごの約束」 文藝春秋刊より)
![]()