0511  第511話  さいごの約束 「第一章 恐ろしい宣告」

 

 外来の待合室は人であふれていて、十一時の予約だったが、またお尻が痛くなるほど待
った。やっと名前を呼ばれて診察室に入る。そこには、風格の漂う五十年配の医師がいた。
これから夫はこの先生に命を預けることになるのだろうか。資料を見て、何かカルテに書
き込みながらこれまでの経過を聞いたあと、夫はベッドの上に横たわった。腹部を押され、
さらに椅子に腰かけると、先生は首の鎖骨のあたりをぐりぐりと触った。食道の異常のは
ずなのに、なぜあちこち触るのだろう? カルテにある人体図の首のあたりに先生は小さ
い赤丸をつけた。一体なぜ?
「CTは後日予約を入れますが、肺のレントゲン、喀痰、超音波、採血は、今日これから
検査を受けてください。内科の陳先生に紹介状を書きますので、そちらで内視鏡をやって
ください。しばらくは陳先生の外来で治療してください。

 前日、水戸の病院で内視鏡検査をやり、ひどく苦しい思いをした夫は抵抗したが、陳先
生はとても慣れていて上手だからと言われてしまった。それにしても、なぜ内科に行くの
だろう。食道手術の上手な先生として頼ってきたのに……。外科の先生のところは今日で
終わり、内科に行ってくださいというのは、手術はしないという意味なのだろうか。
 夫が検査を受けているあいだに内科の外来の手続きをした。
「坂本さん、どうぞ」
 呼ばれて入ると、三十歳前後の若い医師がいた。それが陳頸松
(けいしょう)先生だった。
 外科の先生からの申し送りを読み、内視鏡検査の予約をすると言われた。
「外科では今日やってもらいなさいとおっしゃったのですが」
「たぶん私のスケジュールをご存知なかったからでしょう。今日はたくさんの具合の悪い
方が外来で待っていらっしゃるし、すぐ内視鏡検査をするわけにはいきません。申し訳あ
りませんが、金曜日にもう一度来ていただけませんか。その日なら時間が取れますから」

 がん専門病院の洗礼を受けた気がした。ここでは全員ががんという病気で苦しんでいる。
点滴を受けながら、身体を起こしているのがやっとという人もいる。誰もが死と背中合わ
せでおびえているような気がした。このたくさんの患者さんたちを先生は限りある時間の
中で診なくてはいけないのだ。また上京するのが大変だなどというわがままは言えるはず
がない。
 会計のところに顔の半分が陥没している女性がいた。とても痩せていて、思わず支えて
あげたいほどだ。でも、その人は明るく、屈託なく会計の人と話している。そのとき、私
は自分を恥じた。夫は見た目は元気な働きざかりの男性なのに、私たちはがんかもしれな
いと思った瞬間からコソコソふるまっていた。別にうつる病気でもないのに、人に知られ
ることを必要以上に恐れていたのだ。この女性のように堂々としていなくては。

 (坂本敬子著 「さいごの約束」 文藝春秋刊より)