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0509 第509話 さいごの約束 「第一章 恐ろしい宣告」

夫の父は、長男の直彦が二歳のときに胃がんで亡くなった。跡を継いだ夫は、まだ三十
二歳。蔵元としては若く、父親が始めたビールの問屋業は手伝っていたものの、酒造りに
はほとんど携わっていなかった。いきなり跡を継がねばならない戸惑いも大きかったはず
だ。父の代より岩手から来てくれている杜氏にいろいろ教わりながら、蔵元としての仕事
を始めたようだ。
養父は月の井の仕事にいろいろな新しい試みを導入していた。ビールの問屋業もそうだ
ったし、それまで造っていなかった大吟醸を造り始めたのも父の代からだ。大吟醸という
のは、その蔵元の誇りとなるような最高級の酒で、鑑評会などに出品されることも多く、
杜氏も腕によりをかけて仕込む。しかし、夫はいつも「大吟醸が美味いのはあたりまえ。
ふだん晩酌に飲めるような価格の酒が美味しいという蔵元になりたい」と言っていた。
とにかく仕事中心の毎日で、お酒の飲めない私にも、よく梅酒のき酒をさせた。うち
では日本酒の原酒で仕込む梅酒が評判がよく(ふつうは焼酎で造ることが多い)その味を
決めるとき、私にいろいろ感想を言わせた。
ほとんど仕事には関わっていなかったのに、
「敬子、どういう造り酒屋になりたい?」
と訊かれることがあった。たぶん、自分自身への問いかけだったのだろう。月の井の規
模は全国の蔵元のなかでは小さいほうである。それを大手と言われるように拡大したいの
か、きわめつけの「幻の名酒」と呼ばれるような酒を造りたいのか……。
「そのどっちでもないんじゃない」
と私は答えていた。
仕事の内容は、ビールの問屋業のほうが忙しく、圧倒的に時間を取られていたけれど、
夫の本心としては造り酒屋として頑張りたかったのだと思う。
病気になる二年前には老朽化していた仕込み蔵を改築し、常に温度を低く保つことがで
きる冷蔵蔵(れいぞうぐら)にした。そして、酒造りの仕事をする蔵人は、通常、杜氏が岩手
から連れてくるのだが、夫は地元の茨城出身で、やる気のある若者にやらせてみたいとい
う気持ちを持っていた。
少し、説明が必要かもしれないが、酒造りの指揮官としてすべての権限を持つのは杜氏
という専門職で、酒蔵技能検定の一級技能士の資格がないとなれない。江戸時代から能登、
岩手、新潟、兵庫などには杜氏集団があり、酒造りの技能が伝承されてきた。こうした杜
氏たちは、ふだんは農業などを営んでいるのだが、農閑期むになると全国の酒蔵に出向き、
秋の終わりから春にかけて酒造りをする。月の井では、二十年以上前からお願いしている
杜氏が毎年、岩手から何人かの蔵人を連れてやってくるのだ。
しかし、夫には茨城出身の蔵人を育てたいという気持ちがあり、二人の若者に期待をか
けていた。一人は設計関係の仕事をする会社員だったのに、酒造りに興味をもち、うちに
転職してきた山田さん。もう一人は商品の配送担当でトラックを運転していた金沢さんだ
った。夫は金沢さんを広島の醸造試験場に四カ月間派遣して、酒造りを学ばせた。本当は、
社員の誰も行きたがらなかったのだが、その様子を見た入社一年目の金沢さんが「なら、
俺が行ってみます」と申し出たのだった。
「途中でやめてしまうかもしれないし、これは賭けだな。でも、俺はあいつなら、蔵人と
してやれると思うから」
と言っていた。この夫の賭けは見事に成功し、二人とも今は月の井の頼りになる蔵人と
して活躍している。
夫は地元の造り酒屋の若手蔵元がつくる「研醸会」の会長も引き受けており、「ピュア
茨城」の運動を率先してすすめてもいた。それは、茨城県で開発した酒米(ひたち錦)、
酵母(ひたち酵母)を使って、純粋に茨城産の酒を造ろうという目的のものだった。忙し
い毎日の中で、夫は少しずつ自分の夢をかたちあるものにしようとしていた。
その矢先のことだったのだ。
(坂本敬子著 「さいごの約束」 文藝春秋刊より)
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