0495  第495話  酒蔵の町・新川ものがたり 「木魚音響会」
  木魚音響会を主宰

   
            藤七考案の木魚

 木魚音響会というのは、藤七の着想になるもので、楠材の小型木魚二個
(写真参照)を一組とし、宴席などで、この小型木魚を鳴らし、その音響を
聞いて楽しむといった同門の集りである。
 明治三十八年、酒店出店主を勇退して隠居役となった藤七の主な仕事は、
醸造元との交際と清酒品評会の審査が主なものであった。いずれも長時間の
宴席がつきものである。 俳句、謡曲、美術鑑賞と趣味は多彩であったが、
宴席には合わず、座がもたなかった。何か適当な宴席の芸はないものかと、
考えた末のアイデアが木魚であったという。いわば、これは茶目っ気にとん
だ藤七の道楽の一つともいえるものだった。

 この発端は大正2年のこと。4月13、14日の両日、藤七は兵庫県宝塚
で開催された第五回世界一周懇親会に出席後、4月16日高野山金剛峰寺に
参詣した。 ここで「空山」の号を受け、19日名古屋の旅館「支那忠」に
落ちつき、市内門前町六丁目の仏具商・加藤庄兵衛店で「楠木地小木魚」百
組を注文、一組につき十円の代金を支払った。
 加藤商店では、前年の10月25日、名古屋税務監督局主催の第一回酒類
品評会に審査員として出席したさい、尺五寸の「本朱塗木魚」二個と、数珠
(じゅず)二連を購入しており、小型木魚のアイデアは、この間にひらめい
たものと思われる。

 入門第一号は、大正2年9月、松本市で開催の長野県酒造組合連合会主催
・第三回清酒品評会に審査員として出席したさい、26日勧誘した地元松本
の酒醤油問屋・上島源次郎(号・岸松斉木ニ)であった。さらに酒店、家族
醸造試験所、旅先で出合った人などを積極的に勧誘してまわった。しかし、
家族の中でも当時15歳だった四男・寿一からは、「木魚導人タル者其職責
ニ任ゼザルヲ以テ、木魚入門ハ断シテ不可ナリ」(大正3年4月)と拒絶さ
れ、再度の説得によって、やっと入門を納得させるという状態であった。

 希望者には全員、木魚導人、木空山先生あての「入門願」を提出させ、
許可されると各自その人物にふさわしい雅号が贈られた。   (中略)

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)