0494  第494話  酒蔵の町・新川ものがたり 「淘宮(とうきゅう)術2」
  下町の商人に広まった淘宮術

 (前話のつづき)

 母が「おまえたちもお聞き」というから、隅の方で聞いていると、いい年
 齢(とし)をした人が「前々から、わたくしが物事に不精でございますの
 で、そのために災難をうけることがあるから、心がけなければならないと
 いうお諭しを頂いておりました。先日の大暴風雨の晩のことでございまし
 た。戸障子がミシミシといっておりましたが、ついそのままに寝(ふ)せ
 っておりましたところ、ふとかねてのお諭しを思い出しまして、部屋をか
 えまして寝床をとらせました。ところが、そのすぐ後で、雨戸、ガラス戸
 が吹きとばされまして、もし、もとの部屋におりましたら、きっと大怪我
 をいたしましたでしょう。その難を免れましたのも、かねてのお諭しのお
 かげであると存じます。まことに只だありがたいことでございます」と言
 っている。

 また「先日、或る街角を曲がりますときに、かねて私は気忙しすぎるとい
 うお諭しを思い出しまして、ゆっくりと大きく街角を曲がりましたら、私
 のすぐうしろに、屋根から瓦が落ちて参りまして、大怪我をするところで
 ございました」などと、落語の「天災」のようなことを言っている人もあ
 る。しかし、我慢して聞いていると、なかなかいいことを言う−いい反省
 をしている人もある。けれども、多くは、つまらない話だなアと思いなが
 ら聞いていた。
 いろいろな方が見えたが、いまでも憶えているのは、上品な風格の堂々と
 した −上野山下の有名な老舗、名菓「空也最中」の御主人の古市さん、
 これも有名な神田の大きな鰻屋さんの旦那−(東京で三つの大店の一つ)
 「神田川」の神田さん−江戸風のさっぱりした御主人である。
                     (前掲書 「酒蔵の町」)

 いずれにしても淘宮術は、各自の生れた年月日、いわゆる干支によって人
の性格が動かされ、悪癖を生じるため、これを淘汰して善を養い、悪をいま
しめ、運命を切り開き、幸福を求めなけれぱならないと説く。
 この原理を知っていることは、店で大勢の人を雇用し、商売に多くの人と
接する場合に役立つというのである。

 「酒蔵の町」の中で寿一は、「自分の心の修養のためになるばかりでなく、
商売 − 仕事の上にも役に立つことが多いので、下町の商家の人たちの間に
「お淘宮」が弘まったのではないか。心の修養のためだけでは、このように
弘まりはしないであろう」と、淘宮術の広まった理由を分析している。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)