0491  第491話  酒蔵の町・新川ものがたり 「世界一周旅行」
  藤七、世界一周旅行に

図表28 第ニ回世界一周旅行会の経路 (明治43年朝日新聞社刊行「欧米遊覧記」より)

 日露戦争後の明治41年3月18日から6月21日まで、世界の平和、国
際的知識の向上を目的として、朝日新聞社主催の第一回世界一周旅行会が実
施された。
 この旅行が好評だったところから、同社は同43年1月、ロンドンで5月
開催の日英博覧会の見学を兼ねての第二回世界一周旅行会を計画。同月4日
づけで会員募集が行われ、応募者の中から藤七ら会員52名、特派員5名が
選出された。第一、二回とも、明治45年5月各国間の協定により、「世界
一周国際連絡運輸」が開始される以前のことである。
 第二回世界一周旅行の行程は、4月2日関西方面の会員を乗せて神戸港を
出航、4月6日横浜港から関東地方の会員を乗せて、「第二回世界一周旅行
会の経路」(図表28)に示すとおり、アメリカ、イギリス、フランス、イタ
リア、スイス、ドイツ、ロシアの各国を回遊し、7月18日敦賀港へ帰着す
る103日間の大旅行であった。経費は会員一人につき千九百五十円と、さ
らに当初の予定日数の延長分の追加金、五百円が払い込まれた。

 第二回の参加者は、藤七のほか、のち貴族院・衆議院議員となった信濃銀
行重役・小坂順造
(池田内閣の外務大臣・小坂善太郎、衆議院議員・小坂徳三郎の父)、日本
画家・御船綱手、太湖汽船会社社長・浅見又造、灘の大関醸造元・九代長部
文治郎、唐津病院長・古川俊などそうそうたる顔ぶれで、その職業は会社社
長、弁護士、炭鉱支配人、会社員、学生と多岐にわたり、朝日新聞社からは
特派員として漢学者・西村時彦(天囚)が同行した。
 メンバーのうち、以前から藤七と親交のあった大関醸造元・長部文治郎と
は、全く偶然の同行であった。当時、灘の長部家に寄寓していた次男・雄次
郎も、その日記に「朝日世界一周会員、愈々本日決定ノ通知あり、父上ノ名
ありとて本家御一同も驚き入る」(明治43年2月19日付)と記している。
 飛行機の発達していなかった明治末期の世界一周旅行は、今日の宇宙旅行
にも匹敵するほどの大旅行で、当時東京の酒店関係者で外国へいった人は一
人もいなかった。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)