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0489 第489話 酒蔵の町・新川ものがたり 「旅の記録4」
国内の旅
さらに8月4日の霧島登山では、地元・庄内村の熊本師範学校の生徒が案
内してくれる。 彼等は「大なる鞍を背負ひ、下駄ばきなり」(全掲「旅日
誌」)と、その出で立ちに驚きの言葉をもらす。
なお、この旅では霧島登山のあと、四男・寿一が急性盲腸炎で鹿児島県立
病院へ入院した。
8月21日、九州旅行が終ったあと、病人の寿一と原島立次郎の2人を除
いた4人は、帰京予定を急きょ変更して、鮮満旅行を計画。 関釜連絡船・
壱岐丸で釜山に渡った。
この破天荒な行動について、当時兵庫県今津に滞在していた雄次郎は、そ
の便りに接するたびごとに、一喜一憂した心境を次のとおり日記に記してい
る。
●明治四十四年七月二十三日 日 曇天
朝六時半、大阪駅にて父上初め、両弟、原島ニ氏、伏見君一行、九州行
ノ途次ニ面会ス、何れも大きくなられたり、一行ハ今夜宮島泊リノ由
●明治四十四年八月二十二日 火 晴れ
原島立次郎君と寿一君、昨日午前下ノ関発にて帰東せる由、残四名ハ朝
鮮へ渡る筈と、又驚いたり
●明治四十四年八月二十三日 水 晴れ
父上一行、二十一日夕、関門海峡を後にして朝鮮に向ふ由通信あり、何
ぞかぞと相変ス多忙なる御振舞、アイスクリームにてほっと息をつく
このように、鮮満旅行は予定外の行動であったため、留守宅から急きょ4
百円を送金させ、8月21日午後10時20分下関を出航、釜山、仁川、ソ
ウルの南大門、安東県、奉天、遼陽、湯崗子(とうこうし)、龍泉寺、大連
の行程で遊覧してまわった。
この間、鴨緑江(おうりょくこう)は架橋工事完成前であったため渡船。
伏見正三は「駅夫に導かれて連絡船に乗り、鴨緑江を渡る。連絡船と云へ
ば大きい様なれど、隅田の石油発動機と同じなり」と記している。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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