0483  第483話  酒蔵の町・新川ものがたり 「謡曲」
  謡曲一家 − 観世流

 藤七が次男・雄次郎を伴って、能楽の観世鉄之丞師に入門したのは、新川
酒店出店主時代の明治34年4月6日。 藤七数え年43歳、雄次郎数え年
12歳のときであった。入門して、さっそく鉄之丞師から中国の皇帝を仕手
(主人公)とする「鶴亀」を習ったという。
 後年雄次郎は、この入門当時について次のように回顧している。

 私が紅雪先生のところに入門いたしましたのは、明治34年(1901)
 の4月でした。深川の有名な石材問屋で服部与兵衛さんの別宅でしょうか。
 今の深川二丁目のお宅がお稽古場になっていました。4月の6日でしたが、
 父は43歳、私はまだ数え年12歳で何も判らないのに、父に伴れられて
 そこのお宅に参り、父と一緒に入門いたしました。

 この時に始めて紅雪先生(当時は鉄之丞先生)に「鶴亀」を教えていただ
 きました 。
 月に6回のお稽古ですが、紅雪先生は4回ぐらいおいでになりまして、あ
 との2回は織雄先生 −後の華雪先生で、その頃皆は「織さん」と呼んで
 居りました。−が、一鉄二さんか、お一人をお供につれておいでになり
 まして、手ほどきを別の部屋でさせられたりなさいました。お稽古の人は
 10人余りで、木場の旦那方でした。

 当時は鉄之丞家一門と梅若家一門のお稽古が一・六の日の早朝から厩橋の
 梅若舞台で行われていましたが、紅雪先生はいつもそのお稽古を終ってか
 ら、深川にお出かけになったように思われます。先生のお宅は西鳥越町三
 番地で、そこに長くお住いでした。そこから厩橋の梅若さんの所へは割合
 に近かったのです。鳥越のお宅には確か16畳ぐらいの板敷の間がありま
 して、そこを仕舞のお稽古などにお使いになっていました。

 当時は、紅雪先生は60才、織雄さん−華雪先生は18才、一鉄二さん
 は19才であったと記憶して居ります。お稽古は鶴亀から橋弁慶と進みま
 したが、始めは謡本に書いてある難しい字が何だかさっぱり判りませんで
 した。お稽古から帰って参りますと、毎晩宅で謡が始まるのです。なにし
 ろ子供のことですから、どこから声を出していいのだか勝手が判らなくて
 困りました。ところが不思議なことに、2ヶ月ぐらいすると次第に謡が好
 きになりまして、まあ、今日まで一生の趣味になってしまいました。

          (昭和三十五年四月座談会−観世紅雪師の思い出−「観世」第二七巻第四号所載)

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)