0479  第479話  酒蔵の町・新川ものがたり 「俳諧2」
  俳人・應々居詩葉

 自己の入門した「田喜庵社中」の俳句について、藤七は、メモ「芭蕉翁御
 説・聞書」の中で次のように記している。
 悟(さとり)に入て悟を出さる時ハ狭ク、又悟に入さる時ハ邪路(じゃろ)
 にはしる。悟に入、悟を出てはしめて自在を得るへし。詩歌、文章を味ひ、
 心を向上の一路に遊ひ作(つくる)を四海にめくらすへし
 一、千歳不易一時流行
 一、他門の句ハ鵜色のことし。我門の句ハ墨絵のことくすへし。折にふれ
   てハ彩色のなきにしもあらす。
   心他門にかはりて、さひ志(し)をりを第一とす

 花より実をとる藤原定家の歌学「花実論」にもあい通じるものであろう。
 藤七が出店主就任直後の明治27,8年日清戦争のころ、中井酒店をはじ
めとする新川、新堀界隈の酒問屋では、詩竹、詩葉らに影響されて、俳句を
嗜(たしな)む人が増加していた。
 当時の俳句について、横地信輔は次のように回顧(昭和18年)している。

 其頃(そのころ)酒問屋内に俳句を嗜まるゝ仁が相当にあり、余程以前よ
 り、田喜庵詩竹と申さるゝ宗匠が各店へ訪れた。明治28年の年始に例年
 の如く、鳥の子紙刷自筆の新声を年玉に贈られた。
 前書きに満寿々々戦捷(せんしょう)とあって、「輪をかけて大きふ見ゆ
 る初旭か那」と詠まれてあった。
 宗匠は旧俳壇中にても一風格を備へ、書も見事なものであった。
 後年、今は故人と成られたが、新派半面調を標榜された岡野知十老は、常
 に田喜庵宗匠を礼讃されて居られた。筆の序(ついで)に此(この)岡野
 氏は小唄の作家として晩年有名であった。生前、深川冬木弁才天祠の傍に
 「名月に御免蒙りてあぐらかな」と彫刻した自詠の俳句碑を建立され、其
 他、向島百花園、小石川植物園にも句碑を遺された。

 酒問屋内で、田喜庵門下として有名な俳人は、中井酒店の故木藤七氏、
 俳号・應々居詩葉、同店故原島彦七氏、東葉、伊坂商店故渡辺伊兵衛氏、
 俳号・十雨庵五風、酒類問屋小西孝店篠田友吉氏は田喜庵門下として宗匠
 の立机披露をせられ、護竹庵柳友と称せられた。
                    (前掲書「東京酒屋沿革史」)

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)