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0477 第477話 酒蔵の町・新川ものがたり 「旅」
多彩な趣味に生きて
藤七の生涯の中で旅も生活の一部となっていたといっても過言ではない。
仕事がら酒の仕切りでの関西旅行のほか、すでに述べたように酒の審査旅
行や、鎌倉、江ノ島、熱海、水戸梅林、足柄、箱根、日光、那須、塩原温泉、
さらに碓氷、妙義の紅葉見物等、醸造元のご主人、ご家族を案内しての接待
旅行も多かった。また、世界一周国際連絡運輸開始前の明治43年、朝日新
聞社主催の世界一周旅行に参加したのをはじめ、生涯に日本全国のほとんど
の地を旅してまわった。
明治45年3月、山陰線・京都〜出雲今市(出雲市)間の全通を知ると、
さっそく出雲遊覧旅行を計画、当時兵庫県今津に滞在していた次男・雄次郎
に、「父上よりの手紙拝見、来月一日より山陰線開通ニ付、豫(かね)て宿望
の出雲大社参詣を思ひ立ちたりと、何時も乍ら元気旺盛に驚く」(2月29日付)、
また「父上、山陰御旅行帰路、当地ニ立寄られ、堂島魚岩にて食事す、旅行
談やら、スタンプ物語、処世談、例ニ依って元気旺盛、八時半、梅田停車場
ニ御別れす」(3月11日付)と日記に書かせた。
旅先では謡曲に登場する地を訪問し、謡曲本にスタンプを押してもらい、
そのスタンプ収集も趣味の一つとなっていた。
また藤七の旅は茶目っ気に富み、人の意表をつくところがあった。
たとえば、明治43年の世界一周旅行では、大関の薦樽(こもだる)一樽
を船に積み込み、同行の人びとを驚かせた。さらに翌44年8月、宗次郎、
寿一、原島宗一郎、立次郎兄弟、伏見正三を伴って出かけた九州・鮮満(朝
鮮、満洲)旅行では、入れる茶が足りないのではないかと懸念させるほどの
大土びんを携帯して列車ボーイを驚かせた。そして、この九州から鮮満への
旅は当初の予定にはなく、突然の行動で、これも家族を驚かせ、かつ憂慮さ
せた。
これらの旅行には「雁皮の手帳」と氏名のゴム印を携帯し、旅先の旅館か
らは必ず家族に絵はがきの便りを出した。旅は子供たちにも盛んに奨励し、
現在木家には家族が全国の旅先から出した夥しい量の日付印入り絵はがき
が残されている。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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