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0476 第476話 酒蔵の町・新川ものがたり 「趣味」
多彩な趣味に生きて
藤七は不遇な境遇の中で育ちながら、早くから俳諧の道に入り、さらに謡
曲、仕舞、旅、美術鑑賞、茶の湯など、多彩な趣味に親しむことによって心
豊かな人生をおくった人である。
とりわけ生活に密着していたのは、俳句、謡曲と国内外の旅であろう。
明治10年ごろから入った俳諧の道は、蕉風、いわゆる芭蕉俳諧のさび、
しおりを基調とする田喜庵(でんきあん)二世・詩竹に師事し、日清戦争前後に
盛んとなった新川酒問屋界隈における俳句仲間の指導的地位にあった。
句会は、蒲田梅林、王子名主の滝、向島百花園など近郷近在の名所で開催
したほか、地方の清酒品評会の審査出張のさいには、事前に打ち合せて、盛
岡、長野、千葉、名古屋、高知、松本など、その近傍の道中各地でも開催し、
俳句仲間との交友を深めた。
とりわけ宗匠の地位にあった田喜庵三世・小山人、上野(こうずけ)の俳人・
羊合軒可都美(かつみ)とは、家族ぐるみで交際し、お互いの家に寝泊りする
ほどの深いつき合いであった。
また、明治34年4月、次男・雄次郎ともども観世鉄之丞師に入門した謡
曲は、自宅に観世一門の人びとを招待して謡会を開催するほどの熱の入れよ
うで、とくに入門当時10歳だった雄次郎は、翌35年鉄之丞から見込まれ、
子役で多くの舞台に出演。同38年には早くも「卒都婆(そとば)小町」の
免許を受け、鉄之丞師から養子縁組を嘱望されるほどであった。
さらに木家では、明治36年3月、長男・忠吉が入門したのをはじめ、
分家の範治、三男・宗次郎、四男・寿一とあいついで入門、まさに観世流の
謡曲一家で、お正月に家族が揃うと謡い、家族の死去にさいしては一家で謡
って故人を弔った。
なお、のち慶応義塾大学教授となった四男・寿一は、「慶応観世会」、
「慶応梅若会」の会長にもなり、同校の観世流謡曲の発展に寄与するところ
が大きかった。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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