0474  第474話  酒蔵の町・新川ものがたり 「就職」
  文治郎の世話で三井物産へ就職

 明治41年10月13日、雄次郎は大阪市東区瓦町三丁目の直輸出入商(貿易商)
石田商会へ就職した。長部家へ寄寓して半年後のことである。
 当日付「雄次郎日記」には、「晴、大阪行、今日より小西氏の紹介にて東
区瓦町三丁目石田商会へ暫時通って見る事とす、初めての商人なれば色々当
惑すれど記すべくもあらず」と記されている。
 就職後においても、長部家からは家族同様の待遇を受け、毎日武庫郡今津
村の同家から大阪の瓦町まで通勤した。

 元日には先代文治郎とともに家族の一員として御仏前を拝し、そのあとお
座席で行われるお祝いにも列席した。さらに翌2日、吉例の伊勢参宮旅行に
は、長部ご家族に加わって同行することもあった。
 なお、日曜、休日とウィークデーの夜は、昇一(10代文治郎)、史郎兄弟
の学習指導にあたった。ときには「夜又謡(うたい)をやる、史郎君、昇一
君、本日より入会、頻りに大声を発す」(明治43年1月24日付「雄次郎
日記」)の文面にみられるように自己の得意とする謡を兄弟に教えたりした。
 とりわけ9歳年下の昇一とは仲がよく、二人で郊外の散歩に出けることも
多かった。温厚実直な雄次郎の人柄を、昇一の方が実の兄以上に慕っていた
といったほうが適切かも知れない。

 いずれにしても、雄次郎は、石田商会へ勤務すること2年8ヶ月。
 明治44年6月15日、大阪市高麗橋の三井物産株式会社大阪支店に機械
掛見習として入社した。雄次郎の三井物産への入社は、9代文治郎から当時
同社の大阪支店次長だった南条金雄(のち三井合名会社筆頭理事)への口き
きで実現したものであった。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)