0472  第472話  酒蔵の町・新川ものがたり 「利(き)き酒の名手」
  利き酒の名手・藤七

 明治38年の出店主勇退後、ひき続き相談役として中井酒店に勤務した藤
七は、長年の酒店づとめで得た利き酒の腕をかわれて、同44年長野の清酒
品評会以降、千葉、高知、名古屋、前橋、盛岡など各地の品評会に審査員と
して招かれ、結構多忙な毎日を過した。
 藤七の利き酒の腕については、高木家と親交のあった大関酒造の九代長部
文治郎も認めるところであった。四男・寿一は清酒品評会審査員として活躍
した父・藤七の思い出を次のように回顧している。

 昭和22年の頃であった。商工経済会の全国大会が大阪で開催された。
 その時の東京商工経済会の理事長は吉阪(よつさか)俊蔵さんで、長部さ
 んの極く近いご親戚である。私は横浜で平沼会頭のところの理事長であっ
 た。その大会の議事の後で、どこかの工場を視察する日程になっていたが、
 吉阪さんと話し合って、そちらへ行くのをとりやめた。

 二人で久しぶりに今津の長部さんのところへ行こうということになった。
 ご隠居が「うちの社長はほんとうによくしてくれています。これは社長が
 特別に作ってくれたお酒ですよ。これは軟水でこしらえたお酒。こちらは
 硬水で作ったお酒。あなたのお父さんは、利き酒がうまかった−よく方々
 で酒の審査などを頼まれていましたね。息子のあなたに判るかな。これは
 なかなか難しい。判ったら大したものだ。まあ、味を見てごらんなさいよ」
 と言われた。

 −私がもの心がつき始めた頃には、父はN酒問屋の隠居役になっていたの
 で、よく各地に酒の品評会とか、共進会あるいは博覧会があると、出品さ
 れているお酒の審査員を頼まれて出かけて行った。
 酒の品評は、まず「色」をみる−次に「香り」をかいでから「味」を見る。
 そして水で口をゆすいでから、次に移る。それでも、何時間かやっている
 うちには酔うそうである。
 父の帳面を見ると「色」「香り」「味」の欄に分けて、日本字の一、二、
 三、とか上、中、下と書いてある。学校に行けなかったから、1、2、3
 が書けないし、ましてabcは知らないのである。
                       (前掲書「酒蔵の町」)

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)