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0467 第467話 酒蔵の町・新川ものがたり 「長男結婚」
長男・忠吉、伏見とみ結婚
高輪別邸の完成した翌40年3月16日、中井酒店出店主・原島彦七の媒
酌によって長男・忠吉(23歳)が結婚した。相手は中井御本家の執事・伏
見市右衛門(伏見仁平・明治13年4月29日市右衛門襲名)の次女・とみ
(20歳)。とみ自身も年少のころから中井家に小間使いとしてつとめていた。
忠吉の次男・藤夫が、母から聞いた話として語ったところによれば、当時
とみは、自宅から中井御本家まで人力車で通勤し、ご隠居、旦那様、奥様、
お嬢様方から特別に可愛がられ、嫁入りにさいしては、英(はなぶさ)一蝶
の画いたお雛(ひな)様の軸を頂いたという。
伏見家は、明治39年9月17日の廃業まで、麻布区飯倉5丁目45番地、
赤羽橋の近くで、江戸時代からお休所「瓦屋」(店の看板は「かはらや」)
を営む旧家であった。札ノ辻の大木戸から、三田通りを経て赤羽橋を渡り、
飯倉坂を越え、氷川下から虎ノ門に出る、この道筋には、旧幕時代江戸に出
入りする武士たちの往来が多かった。武士たちは、旅装束の着替えなどのた
め「瓦屋」で一ときの休憩をとったという。
明治39年9月30日付「忠吉日記」には、「夜父上ヨリ、大礼ノ話合尋
訪(じんぼう)セラル、只々可然(ただただしかるべき)様ニト御話スルコト(先方
ハ19年9月30日生)とあり、然るべき様にと承諾の意思表示をしたこと
が記されている。そして二人は12月1日に婚約した。とんとん拍子の進展
であった。
12月31日付日記の「歳末雑感」の中で忠吉は、「春成起したる高輪の
工作も初冬の頃殆んど落成、何となう肩に重荷の無しと思う時、大礼を略ぼ
結び下さりしと承りて、只々縮まんとするものを振り払ふのみ」とその喜び
の心境を書き残している。
翌40年2月7日には、原島彦七の立ち会いで結納をかわし、3月16日
はれて華燭の典を挙げたのだった。
とみは結婚したその年、子供を身ごもった。藤七にとって最初の内孫であ
る。(中略)
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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