0466  第466話  酒蔵の町・新川ものがたり 「支配役を勇退」
  二人の酒店支配役

 日露戦争講和条約締結寸前の明治38年7月8日、支配役(出店主)を退任
した藤七には、中井御本家から「是迄
(これまで)支店支配役出精(しゅっせい)
大儀候」として、慰労金2千円が下賜された。

          木藤七
 一 是迄支店支配役出精大儀候
   此般退役申付候
   猶(なお)取締厚ク相心得此上精勤
   可致候事
   明治三十八年七月
    此
(この)書附を添(そえ)金弐千円下賜相成候

 当時、中井酒店の下り酒輸入駄数は、東京酒問屋組合総輸入駄数の約10
パーセントで、組合店中トップの座をしめ、その営業成績はきわめて良好で
あった。これは出店主・藤七の経営手腕に負うところが大きかった。その経
営手腕を惜しまれての退任は、先代原島彦七に対する報恩の気持ちから二代
彦七(37歳)に支配役を譲るための勇退であったといわれている。丁稚小
僧の下積み時代、勉学できるように便宜をはかってくれ、結婚にあたっては
自宅通勤を配慮してくれるなど、逆境にあった自分をわが子以上に可愛がり、
庇護してくれた先代彦七の恩義に報いるため、46歳の働き盛りで勇退した。
 勇退後は、「此上精勤可致候事」と辞令文にもあるように、相談役(隠居
役)の形でひき続き酒店に勤務することとなった。
 四男・寿一は、この経緯について、次のように記している。

 父は45才の頃に早目に支配人をHのおじさん(二代原島彦七)に譲って
 隠居役になった。 Hのおじさんの先代は、早逝(そうせい)した祖父の
 同僚で、父をかわいがって引き立ててくれた人だという。その恩義にこた
 えるためであったろうと思う。
 隠居役とはいいながら、すべて相談をしてやっていたから、N酒店では、
 二人の支配人があったようなものである。そして、二人が若い頃から兄弟
 のように仲がいい。両方の家は親類以上のつき合いであった。殊にH家の
 息子兄弟と私の家の三兄と私とは、ほぼ同じ年輩でもあって、多くのこと
 を一緒にやった。
                   (前掲書「酒蔵の町」)(中略)

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)