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0465 第465話 酒蔵の町・新川ものがたり 「氷店の開業」
今川橋氷店の開業
![]() 江戸時代の今川橋 ( 「江戸名所図会」より ) |
木家が酒問屋の経営にたずさわる傍ら、神田区今川橋河岸で氷屋を兼業
(委託経営)したのは、明治35年の夏から大正6年までの約15年間であ
った。この営業は、明治36年11月藤七が神田区南乗物町14番地の中口
栄之助に、機械製氷株(35円払込み)10株を抵当物件として年1割2分
の利息で200円を融資しており、「忠吉日記」にも氷店に関して「中口」
の名が頻繁に登場するところから、中口栄之助の下請けであったと推測され
る。取り扱ったのは天然氷で、遠く赤城湖(赤城山頂大沼)などの山頂から
切り出し、船で輸送された氷を東京市民に販売したのだった。
わが国における天然氷の利用は古く、すでに奈良時代(710〜784)、
平安時代の昔から用いられていたことが実証されている。たとえば、長屋王
遺跡発掘(昭和63年)の木簡に「氷室(ひむろ)」の文字が記され、さら
に延長5年(927)、宮中の年中儀式等について編纂された「延喜(えん
ぎ)式には、冬期間、山城、大和、河内、近江、丹波の諸国に、氷室を設け、
その氷を4月朔(ついたち)9月の晦(つごもり)まで用いること、また氷
には、飲み料と冷やし料の区別まで定められていた。
明治維新前後においては、慶応3年高輪に牛肉店を開業し、英国公使館へ
牛肉を納めていた中川嘉兵衛が、富士山頂あるいは東北地方の山頂から、天
然の氷を切り出して横浜での販売を計画したが、運送途中でそのほとんどが
解けて成功しなかった。しかし、中川は融解防止について研究を重ねた結果、
明治3年の夏には北海道からの切り出しに成功し、東京、横浜、京都、大阪、
神戸の各地へ船で積み出した。 (中略)
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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