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0457 第457話 酒蔵の町・新川ものがたり 「万両を大関に」
万両を大関に
木藤七が下り酒の販売にかかわったその生涯の中で、長部酒造の代表酒
「万両」にかえて、新しい酒名を「大関」としたアイデアは、日本酒の歴史
にその名をとどめるところであろう。
明治17年6月7日太政官布告第19号によって「商標条例」24か条が
公布され、同年10月1日から施行された。これは、伊丹酒などに例がみら
れるように商標を犯される事件が多く、その保護と、使用者の業務上におけ
る信用を維持するために制定された法律であった。
この条例によって、農商務省へ免許を出願した者は600名余。府県別で
は大阪、京都、東京の3府と、兵庫、千葉、茨城、群馬4県からの出願が多
く、その商品は、一般庶民生活に需要の多い酒、醤油、薬品、がほとんどで
あった(明治17年11月27日付「読売新聞」)という。
長部酒造の清酒商標「大関」も明治17年10月1日、白鷹(兵庫県・辰
馬悦蔵)、鬼笑(兵庫県・池田庄兵衛)など他の清酒とともに出願され、同
日付で登録(明治20年5月17日出版届特許局「商標公報」)された。同
酒造では、ひき続いて「長盛」、「褒賞」、2品種の商標を同17年10月9日
付で出願(同日付登録)している。
「大関」の酒名は、この商標条例の公布を機に、寛政期(1789〜1801)
以降、大坂屋(長部酒造)の代表酒であった「万両」(大判形枠に万両の2
文字を入れた商標)を改名したもので、一手販売契約をしていた中井酒店・
木藤七のアイデアによるものであった。(中略)
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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