0454  第454話  酒蔵の町・新川ものがたり 「住居新築」
  霊巌島四日市町に住居新築

 月十夜とはいいながら、自宅通勤のとくに許された藤七にとって、一家団
欒の生活は、はじめて味わう家庭の温かさだった。仕事にも張り合いが出て、
生活の苦しい中にも、しあわせな毎日であったという。
 四男・寿一も、この時代のことについて、

 巳之(みの)おじさんの話はすべてにたわいもない話である。浅草橋御門
や万世御門のところに見付があって、羅卒(明治初年の警官)が六尺棒を構
えて「裸体はならんぞ」と怒鳴っている。職人などは大概は裸だが「へえ」
といって手拭を肩にかけると、それで裸体ではなくなって、「よし通れ」と
いうことになったものだ。
 −父と母が新川の附近の路地裏に初めて世帯を持った時の話になって、ど
 んな家だったのと聞くと、畳屋だからすぐに間取りを紙に書いてくれた。
 私はそれをしばらく大事にしていたが、母がその紙片を見つけて、「あら、
 これは初めて世帯を持った時の図面じゃないか。巳之が書いたのだろう。
 子供に見せなければいいのに、余計なことをする。あの時分は暮しの苦し
 い頃だった。けれどもお父(とっ)さんの出世の始めの頃だったから、ず
 いぶん張り切っていたんだよ。

 番頭さんになって、上方の蔵元に御挨拶に行くので五六十日
(ごろくじゅうにち)
 も留守になったかしら。留守中の雑用だといって、お金を置いていってく
 れたけど、その財布のお金には少しも手をつけなかった。帰ってきた時に
 そのままお返ししたら、五六十日も留守だったのに一文も使わないのかと、
 お父さんも驚いてくれた。人間はね、お米とお味噌と塩があれば、けっこ
 う生きて行けるものだよ」という。
                       (前掲書「酒蔵の町」)
と書き残している。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)