0451  第451話  酒蔵の町・新川ものがたり 「酒屋の子」
  丁稚小僧の仕事

 急ぎの使ひは大概往復とも駆(か)け足でさせられた。駆け足はいいが、
駆け足で急いで帰って来ても、遅い遅いと叱られた。言ひ訳をすると生意気
だと言って鉄拳を食はされたものだった。
 初売がすむと1月7、8日の初懸(はつかけ)になる。各酒問屋の売手と
売手脇が持場々々の得意先へ年頭旁々(かたがた)の掛取に行くのが、永い
習慣になっていた。7日に売手は京橋、芝、品川へ。売手脇は山の手廻りと
いって京橋の一部から麹町、四谷、牛込、麻布、赤坂、新宿、中野辺。両日
とも徒歩で行く。紋付の羽織を着て店を出掛ける。売手には小僧が供になっ
て行くのである。

 8日の筋違ひ廻りのH氏(注・2代原島彦七)の懸(かけ)のお供の役が僕に
当った。荒い二子縞の木綿の着物に小倉の帯を締めて、青い小倉の緒の草履
を穿いた僕は尻をからげて、ちくさの股引の膝小僧を風に吹かせ、紋付高帽
子のH氏の後について行くのである。
 店を出て鹿島本店の隣の小泉から始まる。次が丸野、二の橋を渡って堀。
 南新掘へ来て石幡、鳥居、小堀屋、今の内藤商店である。大関の積樽が明
るく飾られている。小孝、と順番に新しい通帳へ判を貰って行く。僕はその
通帳を出してH氏に渡したり、包むだりする。
 各酒問屋の倉庫は大概三間に三間の土蔵を十戸前とか、二十戸前とか位を
持っていた。然しその位の蔵数では忽ち足りなくなって来るのが毎年のこと
で、10月下旬から屹度(きっと)各店共借り蔵をした。

 僕達は枝蔵へ出張している若い衆の所へちょいちょい弁当を持って行った
ものだ。大きな切溜へ8人前とか10人前とか、弁当をつめて背中に背負
(せおわ)され、別に肴(さかな)を入れた小切溜を手に下げて寒い風の吹
くその頃の永代橋、まだ木橋であった橋を渡って、閻魔(えんま)堂橋深川
の不動堂の背後の和倉町の山田星蔵へ良く行ったものであった。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)