![]()
0442 第442話 酒蔵の町・新川ものがたり 「二代藤右衛門」
二代藤右衛門
天明3年(1783)父・初代藤右衛門、さらに同5年兄・藤兵衛の死去
後、藤七(二代藤右衛門)が新川酒問屋に入った年代については明らかでは
ない。
藤七(二代藤右衛門)の名が「播磨屋中井両替店記録」に最初に登場する
のは享和3亥年(1803)で、同記録「永代帳」に新川下店「店勤人藤七」
の名をみることができる。そして、文化5年(1808)2月23日には、
角店の古助とともに新川酒店(下店)の支配人に登用された。
藤七、35歳〜6歳のときである。(中略)
すでに前章で述べたように江戸の文化文政期は、上方からの江戸入津樽数
が100万樽を越え、下り酒の全盛期であったが、新川の中井酒問屋は経営
が思わしくなかったようである。 文化9年(1812)9月25日には、本店
より「新川下酒店近来ふ手繰ニ付、当申年より三ヶ年間の間格別の倹約」が
支配人藤七に申し渡され、同13年には「新川下之酒店年々店勘定ふ引合」
(同記録・用談帳)といった状態であった。
同13年9月には、藤七(下店支配人)、古助(角店支配人)、源兵衛
(下店づとめ)の連名で「今時より卯年迄凡(およそ)三ヶ年中質素倹約抽
(ぬきんでて)出精御奉公勤方可仕候。此度改正仕法通急度相守可申(もう
すべく)候」の決意書が、本店の清助、伊八あてに提出された。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
![]()