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0441 第441話 酒蔵の町・新川ものがたり 「酒店の責任者に」
酒店の責任者に
初代藤右衛門が、前任者・十兵衛に代わって、播磨屋新川酒店の責任者に
登用されたのは、酒店類焼直後の安永7年(1778)3月24日のことである。
「播磨屋中井両替店記録・弐番店日記」には、
同廿四日晴天 与兵衛
新川店十兵衛退役申渡之次第、預新川店藤右衛門、九右衛門より申渡候
と記録されている。(中略)
なお、初代藤右衛門は安永2年(1773)6月妻の死去後、おとよ(登代)
と再婚したことが、同記録「店日記」に散見されるいくつかの記録から、う
かがうことができる。
たとえば安永10年(1781)3月11日付「三番店日記」には、「藤
川藤右衛門并(ならび)に妻近日上京致し候ニ付、金弐百疋被遣(つかわさ
れ)候」、また藤右衛門の死去後の天明7年(1787)7月20日、三代
新右門の葬儀返礼には「新川藤右衛門内」(同記録・永代帳)とある。
さらに文化8年(1811)11月13日付同記録「用談帳」には、「下
店支配人藤七(注・二代藤右衛門)義養母登代」とあって、再婚した事実を
物語っている。
天明元年(1781)8月10日には酒店(さかだな)に勤務していた倅・
藤次郎が19歳の若さで死去、浅草源隆寺に埋葬された。
同3年(1783)9月24日付同記録「五番店日記」には、「新川店藤
右衛門病気次第ニ相重り候故、今日吉村東寿を相頼遣申候。并ニ朝ニ付亦々
庄右衛門、義助ヲ遣し申候」とあり、藤右衛門の病気が相当に悪化し、中井
御本家で憂慮している模様が記録されている。
しかし、看病の甲斐なく藤右衛門は、翌10月7日五ツ半過ぎ(午前9時
ごろ)死去、藤次郎と同じく源隆寺に埋葬された。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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