0440  第440話  酒蔵の町・新川ものがたり 「初代 新川藤右衛門」
  初代 新川藤右衛門

 播磨屋酒問屋に勤務し、のち支配人となった初代新川藤右衛門の出身地、
酒店への入店経緯などについては明らかではない。藤七(木家4代当主)
の孫・木藤夫(平成元年5月没)が伝承として語ったところによれば、初
代藤右衛門が出府して草鞋を脱いだのは、当時日本橋に近い駿河町に店を構
え、代々江戸城の御用をつとめた畳屋仁兵衛(関口家・第三章で詳述)のと
ころで、そのお世話によって酒問屋へつとめるようになったという。

 畳屋仁兵衛の名は、播磨屋(中井)両替店が新川酒店開店以前の宝暦4年
(1754)2月23日、初代新右門(永澄)の四女・類が、浅草御蔵前の
笠倉平十郎に嫁いださいの「婚礼相済候ニ付祝儀参リ候覚」の中に、「鯔弐
本 畳屋仁兵衛殿」(播磨屋中井両替店記録・永代帳)と記録されている。
さらに宝暦7年(1757)、永親(二代新右門)の結婚にさいしてもその
名がみられ、酒問屋開店以前から中井両替店と交渉のあったことが明らかで
ある。

 初代藤右衛門の名が「播磨屋中井両替店記録」に最初に記録されるのは、
同記録「永代帳」の明和9年(1772)2月29日付「目黒行人坂より出
火ニ耐(て)居宅類焼ニ付諸方より見舞至来物之覚」の中で、「平目弐枚並
ぎうひ 新川藤右衛門」の名を見ることができる。
 これは明和8年(1771)3月7日の酒問屋開店から1年足らずののち
のことであって、初代藤右衛門が開業当初から中井酒問屋にかかわっていた
とみてもよいように考えられる。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)