0436  第436話  酒蔵の町・新川ものがたり 「永々苗字御免」
  本両替商仲間に加入

 文化5年(1808)、播磨屋新右門は脇両替屋から待望の本両替仲間に
加入した。
 この加入によって、文化3年当時三井次郎右衛門のみであった江戸の本両
替商は、竹原文右衛門、升屋源四郎、殿村左五平、泉屋吉次郎の合計6名と
なった。播新は、その後明治5年の仲間終結にいたるまで、この6人ないし
4人の少数「本両替仲間」として活躍したのである。
 この間、弘化4年(1847)には、「永々苗字御免」となり、慶応3年
(1867)「御貸附役所御用出精」の廉(かど)をもって、「町方人別」
から脱し勘定所支配にとり立てられ、名実ともに江戸屈指の金融業者として
名声をはせることとなった。

 文政10年(1827)から明治5年(1872)にいたる「本両替屋の
各店々員人数」(「本両替屋判形帳」播磨屋中井両替店記録・解説所載)に
よれば、播新は常に手代3、40人を擁し、平均人数は他の本両替商と比較
して最も多かった。さらに「馬喰町御貸附御用一橋様其外御代官御掛屋御用」
の肩書が示すように、金融関係の公務もつとめ、公私ともにその業務は盛業
をきわめたという。

 また嘉永6年(1853)、国防費等の増大に対応して幕府が大阪、江戸
の大商人に御用金を賦課したとき、江戸酒問屋の中で中井は、鹿島清兵衛の
5千両、鹿島利右衛門の三千両についで二千五百両を献納した。このことに
よっても中井家の当時の繁栄ぶりがうかがわれるであろう。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)