0419  第419話  酒蔵の町・新川ものがたり 「霊巌島−2」
  新川酒問屋の発展

 江戸時代から明治にかけて、「霊巌島」の名は、新川、越前掘、霊巌島の
総称として用いられ、新川はその「霊巌島」の代名詞ともなっていた。また
新川の開削後、その周辺は幾度か大火に見舞われ、そのつど、周辺の埋め立
てが行われたが、亀島川周辺の埋め立てによって土地を造成したとき、容易
に固まらず、歩くと揺れるところからこの地は「蒟蒻島」と呼ばれるように
なった。

 その後、亀島川の河岸には、材木、炭、薪、綿、畳、塗物、米、醤油、塩
などの問屋が建ち並び、酒蔵の町・新川には当時の河川輸送といった特色か
ら廻船問屋も多く存在していたという。さらに霊巌島には、釘、鋏、船具、
海苔、素麺、紙、瀬戸物、傘、麻、空樽などの問屋が建ち並び、とりわけ瀬
戸物問屋は有名であった。
 また、幕府の命によって豪商たちの差し出した冥加金を標準として作成し
た嘉永7年(1854)の「東都長者鑑」には、

 金五千両   新川   鹿島清 兵 衛
 金三千両   新川   鹿島利右衛門
 金千七百両  南新堀  伊坂市右衛門

らの名が掲上されている。ちなみに日本橋の白木屋彦太郎が三千七百両、駿
河町の三井八郎右衛門(越後屋)は二千七百両であった。鹿島清兵衛の五千
両は、この番付の筆頭であり、当時の新川の経済的位置をうかがうことがで
きるであろう。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)