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0418 第418話 酒蔵の町・新川ものがたり 「霊巌島−1」
新川酒問屋の発展
霊巌島は新川が開削されて以来、物資の輸送に便利であり、しかも江戸商業
の中心地、日本橋一帯を目前に控えるという最良の立地条件であったところか
ら、日本橋方面の商人があいついでこの地に移住した。
たとえば元禄7年(1694)江戸の諸問屋は、大阪にならって「江戸十組
問屋」を組織し、これに加盟した江戸下り酒問屋は[酒店組」と名乗った。同
15年(1702)三月十日江戸下り酒問屋が幕府に提出した報告書[酒問屋
員数書上」には、総人数126人と記録されている。
この内訳は瀬戸物町に太郎兵衛ほか8人、伊勢町に九兵衛ほか21人、坂本
町二丁目に伊佐ヱ門ほか2人と、霊巌島以外の酒問屋が104人の多数にのぼ
り、霊巌島の酒問屋は四日市町に三郎兵衛ほか12人、伊兵衛10人と、江戸
下り酒問屋数のわずか17パーセントにしかすぎなかった。
しかし、35年後の元文2年(1737)の「酒問屋人別書上」では、伊勢
町、瀬戸物町、中橋付近の40軒に対して、霊巌島と亀島川を一つ隔てた坂本
町に5軒、茅場町に8軒、北新川に16軒、南新堀に5軒、南八町堀に1件の
合計35軒となり、日本橋を中心とする酒問屋数に接近したことを示している。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
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