0416  第416話  酒蔵の町・新川ものがたり 「越前堀」
  徳川家康と江戸の開発

 慶長17年には南八丁堀、三十間堀等が開削され、新しく市街の区画を制定
するとともに、この地は京都、津、堺等の商人に与えられた。このように家
康は、江戸城の周囲を大名屋敷とし、海、川に近い下町を町屋として、商人
や職人を居住させる方針をとったのである。
 さらに攝津佃村より移住の漁民によって開拓された海洲三国島、いわゆる
佃島をはじめ、万治元年(1658)には木挽町が海洲の埋め立てによって
造成され、翌2年には浜離宮の地が埋め立てられた。

 新川一帯、いわゆる霊巌島の埋め立ては寛永元年(1624)、三代将軍家光
のころ、雄譽霊巌上人が幕府から許されて隅田川の河口の海洲を埋め立て、
荒地を整理し霊巌寺を創建したのがはじまりとされている。
 この海洲は、家康が江戸に入城した天正18年(1590)ごろには、「江戸
の中島」と呼ばれていたもので、元和6年(1620)の工事で日本橋川の流れ
を変えたとき、新堀川で二分され、のちの箱崎と霊巌島となった。

 霊巌島の埋め立て後の寛永11年(1634)には、寺院の南方に越前福井
の藩主・松平忠昌が幕府から二万七千余坪に及ぶ浜屋敷を拝領、邸宅の北、
西、南に船入堀が掘られ、のちの越前掘が誕生した。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)