0415  第415話  酒蔵の町・新川ものがたり 「新川周辺」
  徳川家康と江戸の開発

 日本橋の酒問屋に入る灘などの酒は、すべて酒船で隅田川(大川)から、この
掘割りを利用して新川の酒問屋に運ばれ、酒といえば新川の酒問屋を連想するほ
ど、酒蔵の町として知られたところであった。
 もともと、江戸市民の酒蔵として一世を風靡したこの新川をはじめ、中央区の
銀座、築地一帯は、いまから1200年ほど前には海底にあり、900年ほど前
には東京湾が皇居の近くまで入り込み、「日比谷入江」と呼ばれていた。

 天正18年(1590)江戸城に入り、都市づくりをはじめた徳川家康は、新しく
城を築城し、その城の堀を掘った大量の土で日比谷の入江を埋め立てた。ついで
慶長7年(1602)には日本橋を架設、翌8年には全国の大名に課して、各領地の
石高・千石に対し一人の割合で「千石夫」と呼ばれる人夫を出させ、神田山(駿
河台)を切り崩し、沼地、湿原の海岸を中心に埋め立てた。

 この埋め立てによって造成された土地は、今日の日本橋浜町辺から新橋あたり
までで嘉永2年(1849)江戸幕府の編集した「徳川実紀」には、「市街の名、
皆役夫の国名に取る」つまり尾張の大名が埋め立てを担当した土地を「尾張町」
というように担当した大名各々の国名をとって加賀町・出雲町・因幡町・山城町
と名づけられたのだった。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)