![]()
0413 第413話 酒蔵の町・新川ものがたり 「日清戦争」
明治から大正時代にいたる酒造り
その後、日清戦争を契機として全国酒造業における灘五郷の地位はふたたび
確立し、その造石高は30万石代を維持するまでに増加した。さらに明治37、
8年の日露戦争にかけては、日本資本主義の急速な発展と国内経済の成長に伴
い、40万石代を維持するまでに飛躍。しかも明治40年10月、醸造協会主催
の全国清酒品評会が開催され、この品評会で、大関、しら泉、日ノ出鷲、山海、
白鷹、西尾正宗等の灘酒が、上位優等酒の地位を占めた(明治40年11月「醸
造雑誌」第2年第12号)こと、また積極的な宣伝広告とあいまって、同44
年度には「灘五郷醸造元別清酒造石高」が(図表は省略)48万1千527石
(427蔵)を記録し、空前の盛況をもたらした。
さらに造石高は、酒質の向上、生産、流通、経営の合理化が進められる一方、
第一次世界大戦の好景気にあおられて、大正8年度には全国造石高が戦前を通
じて最高の587万石を記録したのに対し、その約10パーセントに当たる59
万石を記録。この一蔵当たり平均造石高は、全国平均の547石に対して、
灘五郷は1250万石で、両者の経営規模の格差は歴然としたものがあった。
さらに灘五郷の酒造りは江戸時代の伝統にのっとり、大正6年には「灘酒研
究会」を発足させるなど、高い技術と豊富な資本力に加えて、全国市場にまた
がる販売網の拡充等によって、より優位な酒造立地条件をつくりあげていった
のである。
(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
沢和哉共編 清文社刊より)
![]()