0412  第412話  酒蔵の町・新川ものがたり 「灘の復活」
  明治から大正時代にいたる酒造り

 一方、松方デフレ政策による不況が明治19年でおわり、翌20年ごろから
の景気回復に伴い、小規模の零細酒造家が脱落していく過程で灘五郷の造石高
は明治9年度の19万石から、「灘五郷清酒造石高表により」同18年度には
24万石、23年度32万石と上昇、22年度には28万石と減少したものの
24年度29万石、26年度31万石と増加の一途をたどった。翌27年1月
発行の「醸造雑誌」(第135号)には、33万8千石を記録した当時の灘地
方醸造の盛況ぶりが次のように記録されている。

 客月18日を一着手として日々入となり、又冬至始も随分多数に
   て又25日、6日の始もなかなかに多かりし。

山卸 は、いづかたも一様の謳歌にぎはしくゴシゴシ、ドシドシの響き昼夜の
   絶間なし。さて昼間の拍子唄は山卸し、或ひは桶荒ひなど其音声勇壮な
   るも、夜陰の声は何となく悲鳴訴ふるが如き心地せらる。

運搬 何処も玄米、精米の運搬織るが如く、牛車あり、人車あり、雑物を担ぎ
   て入り込む醸夫(百日)の風装、大概相似たり。其容姿野質淳朴、一見
   丹州人の美風あるもの日に幾百人。

店頭の繁 酒家店頭は米商人、精米請負人、水車業、回漕業、桶樽師及び醸夫
     の仕込順序を聴くなど、其応答等の忙しき猫の手も入る繁劇にて、
     近日の光景実に世界一新して勇しき好時節となれり。

宮水の供給 醸水は西宮の特産にて、白鹿外数所は浅尾西山の支配にて、最も
     盛んに汲出し、之に次ぎ同支配、浜永名川永井を始め、辰馬浜店など
     も又盛んに汲出し、其他辰馬弦店の井戸等、孰れも多数の人車群集し、
     仏暁より浜辺に数千箇の水樽を日々に輸出し、為めに道路泥濘其深さ
     幾寸、朝夕途絶なく転々轟々、百雷も啻ならず、其壮盛想ふ可し。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)