0411  第411話  酒蔵の町・新川ものがたり 「灘酒大打撃」
  明治から大正時代にいたる酒造り

 この地主酒造家の台頭は灘酒造家に大きな打撃を与え、その造石高は50
万石から15万石にまで激減、上方からの江戸入津樽数も、かつての100
万樽から5〜60万樽にまで減少していった。酒を醸造しても赤字となり、
やむなく酒蔵を取り壊して材木にして売ったというのも、この当時のことで
あった。

 いずれにしても、灘五郷の酒造業者たちは、こうした困難な経営を打開す
るため、さまざまの方策を模索していた。
 たとえば菊正宗(嘉納治郎右衛門)では、わが国ではじめてイギリスへ酒
を輸出、また白鹿酒造(辰馬吉左衛門)では、西南の役で経済が活発化した
明治10年、海運業に進出、同18年には西宮の酒造家たちが協同で恵美須
銀行を、さらに2年後には攝州灘酒家銀行を設立した。

 また日本各地で株式会社の設立が本格化すると、明治20年には西宮に日
本攝酒株式会社が設立され、同22年には若い酒造家たちが集って西宮企業
株式会社(日本盛)が設立された。さらに海外へ進出する進取の気性も忘れ
ず、同28年には台湾に工場を建設する酒造家(白鹿)も出現、同34年に
は白鶴が1升びんを使用するなど、時代の流れに対応する努力が続けられた。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)