0402  第402話  酒蔵の町・新川ものがたり 「造酒司」
   平安から江戸時代にいたる酒造り

 今日、「灘の生一本」の名で全国に知られる灘(兵庫県)の酒造業が、
江戸積下り酒の銘醸地として台頭してきたのは18世紀以降のことである。

 灘酒造業が台頭する6〜700年前の平安時代(794〜1192)に、
わが国で醸造された酒は、もっぱら寺社の祭神用か、宮廷、貴族の嗜好品
であって、一般庶民とはおよそ縁遠いものであった。

 当時、宮廷用の酒は、酒、醴酒(れいしゅ、あまざけのこと)酢などを
つかさどる役所「造酒司」(さけのつかさ)の役人らが監督し、大和(や
まと)河内(かわち)攝津地方の民衆を徴用して醸造された。

 延長5年(927)、宮中の年中儀式、百官の儀、臨時の作法などにつ
いて編纂された「延喜式(えんぎしき)」によれば、その酒造方法は麹
(こうじ)を使用し、原料には白米や糯米(もちごめ)等を用い、原始的
な自然発酵ではなかったことがうかがえる。

(酒蔵の町・新川ものがたり 大関と木藤七、木藤夫、木文雄、
 沢和哉共編 清文社刊より)